2024年8月29日、妖怪クラスタと “ある界隈”を震撼させる発表がありました。
山本五郎左衛門のフレンズ1化です。
三次もののけミュージアム(湯本豪一記念 日本妖怪博物館)は8月29日~9月12日の期間で「けものフレンズ3」とコラボしており、フレンズになった鵺と雷龍が先んじて発表されていました。
そして後を追う形で山本五郎左衛門のフレンズが公表されたのですが、目隠れ単眼(矛盾)や大量の目玉が覗く影、ふんどし(重要)といった要素を含む非常に奇抜なデザインだったこともあり、我々妖怪クラスタはもちろん、けものフレンズのファンにも大きなインパクトを与えました。
その衝撃たるや筆の重い筆者も思わずFAを描きあげるほど。
ということで今回は、「魔王 山本五郎左衛門」について解説しようかと思います。
(adsbygoogle = window.adsbygoogle || []).push({});魔国の王を狙う魔。山本五郎左衛門
山本五郎左衛門(さんもとごろうざえもん)とは、備後国三次(現:広島県三次市)に伝わる「稲生物怪録(いのうもののけろく、いのうぶっかいろく)」に登場した魔王のことです。絵巻によっては山ン本五郎左衛門とも表記されています。
山本五郎左衛門には神野悪五郎(しんのあくごろう)というライバルがいて、魔国の王の座をかけて競い合っていました。
その際に行われた勝負というのが、インド・中国・日本を渡り歩いて勇敢な少年を100人驚かせるというものです。
しかし86人目として目を付けた稲生平太郎(稲生武太夫の幼名)が、どんな化け物や怪現象にも動じずに耐え抜いたことから挑戦は失敗。また最初からやり直すはめになりました。
平太郎の豪胆さに感心した山本五郎左衛門は、裃(かみしも)2を着た武士の姿に化けて平太郎の前に姿を現すと、その勇気を称えて木槌を手渡します。
そして、「神野悪五郎が今後現れることがあれば、この木槌を振って呼ぶがよい。我々が助太刀いたそう」と言って去っていったのでした。
妖怪といえど流石は王、器の大きさが感じられます。
稲生武太夫は江戸時代中期の三次に実在した武士で、広島藩士を務めてたりします
山本五郎左衛門というのは日本での名前なんだとか。出身はやっぱりインドなのかな?
稲生物怪録ってどんな話?
上の項では山本五郎左衛門という妖怪についての紹介をしてきましたが、彼が登場する稲生物怪録は稲生平太郎という少年を主人公としたお話です。
ですので本項目では、平太郎を中心とした稲生物怪録のお話を紹介しようと思います。
稲生物怪録のストーリー
寛延2年(1749)の備後国三次(現:広島県三次市)に、稲生平太郎という武家の少年がいました。
当時16歳の平太郎はある日、隣に住む三井権八という相撲取りと共に比熊山に赴いて肝試しを行います。その内容はあろうことか、触ると祟りがあるという天狗杉の下で百物語をするというものでした。
その場ではなにも起こらずに無事帰れたものの、7月1日の夜中になると稲生家に突如巨大な一つ目妖怪が現れ、平太郎に掴みかかりました。平太郎が刀で切りつけると妖怪は退散したのですが、この日を境に稲生家には怪異が頻発するようになりました。
巨大な老婆の顔が天井いっぱいに現れる、浮遊する女の首から垂れた血わたが手となって身体を撫でまわす、知人の頭が割れて中から猿のような赤子が現れる、漬物石に目と脚が生えた蟹のような化け物が出現する、居間が糊を塗ったようにベタベタになる……など、恐ろしいやら鬱陶しいやらの怪異が平太郎を襲い続けます。
しかしそこは勇猛な平太郎、化け物祭りにも動じずに30日耐え続けました。
そして7月30日になると、平太郎がいる障子の向こうに裃を着た見知らぬ大男が出現。
こいつも化け物だと見抜いた平太郎は大男に切りかかったのですが手応えはなく、化け物は不気味な笑い声を上げました。そして平太郎に刀を納めるように促します。
平太郎が対話に応じようと刀を納めて正体を明かすように言うと、男は山本五郎左衛門と名乗り、平太郎の勇敢さを称えました。
そして自分が魔王の類であることを明かし、「私は神野悪五郎と王の座をかけて、100人の少年を驚かす勝負をしている。しかし86人目であるお前が恐れをなさなかったことには感服した。もうこの家に怪異を起こすのはやめよう」と約束します。
そして木槌を手渡すと、「もし神野悪五郎がお前を襲うことがあればこの木槌を振って我々を呼べ、助太刀するぞ」と言って立ち去りました。
平太郎が見送ると、山本五郎左衛門は駕籠(かご)に乗って飛び去って行きます。その駕籠の中からは、毛むくじゃらの巨大な脚がはみ出していたのでしたとさ。
めでたしめでたし。
というのが稲生物怪録のストーリーです。
ここで貰った木槌は、広島県の国前寺に門外不出の寺宝として大切に保管されているそうですよ
稲生物怪録の展開
ここまで大まかなストーリーを説明してきましたが、実はこの「稲生物怪録」というお話は、稲生武太夫の同僚である柏生甫が武太夫から聞いた話をまとめた「柏本」や、武太夫本人が書いたとされる「三次実録物語」といった書物、絵巻など様々な形態で展開されており、制作時期や作者など多くのことが不明だったりします。
そのため作品によっては物語を構成する要素が削られたり付け加えられたりしており、改変がなされているようです。
なんなら木槌を渡される部分も後付けと言われているそうですので、もはやどれが正解ということもないのでしょうね。
稲生平太郎自身が書いたとされる「三次実録物語」では、山本五郎左衛門の名が「山本太郎左衛門」とされているんです。……名前まで別物になるなんてことある?
稲生武太夫の英雄譚は終わらない。VS隠神刑部
魔王に認められた逸話を持つ稲生武太夫ですが、実は彼が妖怪を退けたエピソードは他にもあります。
その妖怪というのが、四国の伊予(現:愛媛県)の「隠神刑部(いぬがみぎょうぶ)」。
808匹もの子分狸を従えている親分狸なんですが、その子分狸たちも他の土地では親分だというのだから超大物の大親分であることが伺えます。
また古くから久万山に棲み、松山城の守護神として崇められていたのだから、妖怪というより神と言った方がいいかもしれません。
しかしそんな彼も松平隠岐守の御家騒動の際、謀反側に利用されたことで松山城の乗っ取りに加担してしまい、松山城側によって一族郎党まとめて久万山の洞窟に封じられてしまいました。
そしてその松山城側に助っ人として呼ばれていたのが、他ならぬ稲生武太夫だったのです。
山本五郎左衛門から授かった木槌を使われ、流石の隠神刑部も敗北を喫することとなりました。
もっとも松山城の御家騒動の話にはいくつかのバリエーションがあるので、「※諸説あります」ってところですけどね
大物妖怪を次々と退けるとは、まるで江戸時代の源頼光ってところかな
終わり
後半は山本五郎左衛門というより稲生武太夫(平太郎)の話になってしまいましたが、この二人(?)は切っても切り離せないのでご容赦ください。
山本五郎左衛門について簡単にまとめると、
- 稲生物怪録に登場する魔王。
- 神野悪五郎と競い合い、国を渡り歩いて100人の少年を驚かす勝負をしていた。
- 86人目として選んだ稲生平太郎に敗北するも、その勇気を称えて助力を申し出た。
- 隠神刑部を懲らしめる程に強力な木槌を平太郎に授けた。
といったところでしょうか。
人間が妖怪に打ち勝つ話は数多くありますが、敗北したにも関わらず一切格が下がらない妖怪は中々珍しいかと思います。やはり魔王を名乗るだけのことはありますね。
それはそれとして……
けものフレンズ3(スマホゲーム)への山本実装は無いんですか、アピリッツさん……
※けものフレンズ3と三次もののけミュージアムのコラボでは、山本五郎左衛門だけグッズのみの展開となっています。(9月8日現在)
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